微かなハロー

気ままに | 内向的に | 湿り気のある日記

盲目の野良猫

今住んでいるところに野良猫が寄り付くようになってだいぶ経つ。私は無責任に餌付けをしたくないので関わらないようにしているが、他の住人や近所で働く人たちはなんのためらいも無く餌を与え続けている。猫って本当図々しくて、餌をもらえるとわかるとドアの目の前で座って待っていたり足にすり寄ってきたり、まあ確かに可愛いのだが、動物園の動物を見るような悲しさも感じてしまう。ほんとは野性で生きてたはずなのに、飼いならされちまって…みたいな。

それはさて置き、マックス時は8匹近くいた猫たちも子猫がもらわれていったりして近頃はあまり見かけなくなった。しかし一匹だけ目が悪い子がおり、その子はもらわれずに今も野良として生きている。

ある夜、扉を開けた音と足音を聞きつけて「餌を貰える」と勘違いしたのか、その猫が駆け寄ってきた。この子は視覚以外のもので世界を知覚しているんだ。『極北の動物誌』を読んでいて、動物の中でも視覚を頼りにするものと触覚を頼りにするものがいることに、改めて面白いなと思っていたところだった。どうしても視覚を頼りに生活している自分としては(絵を描いたりもするし)、その猫のようにちょこんととんがった耳や、せわしなく動かせるヒゲのようなもので世界を捉えられるのはちょっと羨ましい。

 

『極北の動物誌』

星野道夫の本を読み、特集された雑誌を読んでいくなかで、気になる本があった。ウィリアム・プルーイットの『極北の動物誌』である。

 

極北の動物誌

極北の動物誌

 

 

いきなり自分の話でなんですが、私は小学生の頃、動物が大好きでそれ故に動物園の飼育係になりたかったことがある。サマースクールに通って動物に触れ合ったり、そうでない時も動物園に通って彼らの姿をスケッチし、時にはカモが泳いだあとの水の波形を描いたりもしていた。当時から動物とその周辺には興味を持っていたのである。結局のところ飼育係になる夢より、絵を描く楽しさのほうに熱が傾いて現在にいたるのだけど。

そんな私なので、『極北の動物誌』はタイトルだけでたまらなく惹かれるものがあった。Coyoteでは「少年ならば誰しもが極北の動物たちの生態に心惹かれるものである」と書かれて紹介されていたけど、私(20代後半女性)の中にいる少年もそりゃもううきうきしていた。探してみたけれど近所の図書館にはなく、ならば買ってしまえとamazonで古書を購入した。それが昨年秋。それから数ヶ月かけてやっと読み終え、もうちょっと味わいたいなと先日二巡目に突入したところ。個人的に気になった点を。

 

①本著の中で使用されている 主に雪を表す単語の種類の多さ。

「クウェリ」「アピ」「プカック」「アニュイ」と、私たちには耳慣れない単語が出てくる。どれも雪のことなのだが、例えば「クウェリ」は枝に積もった雪のことで、「アピ」は地面に積もった雪のことだそう(これは星野道夫の『イニュニック』という本でも紹介されているのかな、改めて調べようとググったらこちらについてのブログ記事がたくさん出てきた)。積もった場所によって表す名前が異なるなんて面白いなと思う。日本語の場合はもうちょっと、雪自体の性質にちなんで命名されることが多いような。粉雪とかみぞれとか。それもまたちょっと違うのかな。
余談だけど、雪といえば中谷宇吉郎のことももうちょっと調べたいな、と思っている。以前LIXILギャラリーの展示で見たスケッチがとても魅力的だった。

②同じ地域に住む動物でもさまざまな種類がいるということ。

ハタネズミ、ノウサギ、オオカミ、ムースなど。動物と一言で言っても当然ながら彼らも多種多様で、草食肉食という分類だけじゃなく、社会性のあるなし(例えばハタネズミは社会性がなく単独行動、オオカミは猟りの際にも群れで動くなど社会性があると言える)、耐えられる寒さだってそれぞれ違うようだし、また敵を見つけるのに視覚だったり聴覚だったり触覚だったり、何によって世界を感知しているかの違いもある。そういう多様性を知るだけで私はたまらなくわくわくする。

③客観的な文章。

この本は全編を通して客観的にタイガ(=亜寒帯に発達する針葉樹林の林のこと)での出来事が描かれている。章によってトウヒの木や、ムースが主役になったりするが、誰か1人の研究者の視点だったり、動物の視点から描かれたものではない。それがとても読みやすい。例えばアカリスがイタチから逃げるシーンなんかは、リスの行動が一つずつ描かれてるだけなのに緊張感もスピード感もあってどきどきする。
他にも自然の描写など、文章自体に美しさを感じることが多々あった。と同時に、動物が他の動物に捕食されたり、人間の罠にかかるシーン、または「ムースの民」ことディンジェ族の行く末をシャーマンが告げる場面などは客観的に書かれてるからこそこちらに迫ってくる厳しさややりきれなさがあると思う。
また、訳者あとがきの言葉を借りれば作者の視点は「過剰に脚色することなくあくまでも冷静で科学的な視点」だ。科学的=客観的と言えると思うのだが、客観的に何かを書くということはそのことについて調べたり裏付けをとるような手間も時間も当然知識も必要で、主観のみで書くことよりも遥かに熱量が必要なのではないだろうか。書かれた動物たちと、彼らが住む土地そのものに、作者がただならぬ熱意と愛情をなみなみと注いでいたことが伝わってくる。

 

最後にまた自分の話で恐縮だけど、動物が好きだった幼少期、私は動物を観察するだけでなく動物そのものになりたかったのかもしれない。セーラームーンごっこは集団生活内で仕方なく参加していたが、家に帰れば仲の良い友人と嬉々としてヤマネごっこなんかをした。といっても丸まって転がったり、冬眠に備えて食糧を集めたりするだけなのだけど。外を歩いていて冬眠に適した樹の洞を見かければ駆け上がり、自分のサイズをぐぐっと小さくして中に入っていくことだってできた(これはもちろん想像上での話)。
その頃の感覚を、ヤチネズミの章を読んでいる時に思い出した。オオカミやオオヤマネコになって風のように走りたい、足音もたてずに跳ねたい、とかじゃなく非力な小動物が対象なのがなんか「らしい」なと我ながら思うのだが、そうやって自分を動物に重ねることで、景色の見え方を変えたり、自然に近付いたり、普段とは違う行動をしたい!という欲求を叶えていたのかもしれない なんて、今になって冷静に思えたのだった。

 

RPGおじさん

〇〇ガールほどじゃないけど、〇〇おじさんってカテゴライズできるありがちおじさんって結構いるような気がしてきた。中でも私がよく遭遇するのはRPGおじさん。主に旅先で「◎◎(ご当地グルメ)は食べた?」とか「××(観光スポット)にはもう行った?」という質問を投げかけてくる見知らぬおじさんのことである。私が勝手に名付けました。何故RPGおじさんかと言うと、出会い頭に話しかけてくる感じが、RPGで出会う村人感溢れてるなーと思ったから。

むらびと××にはもう行ったかな?

 ▷はい
  いいえ

みたいなイメージ。で、いいえを選ぶとご丁寧にいろいろ教えてくれるのだ。基本的にいい人たち。おじさんに限らないのだけど圧倒的におじさんが多い。見知らぬ人だとしても、人と交流するだけでその地の思い入れがぐっと増えるからRPGおじさんに遭遇できたらラッキーだと思っている。縁起物的な?しかし、瀬戸内の豊島に行った時はとある家の前を通った瞬間扉が開かれ、中からRPGおじさん…いや、おじいさまが出てきて待ってましたとばかりに話しかけられたので流石にびっくりした。ちなみにおじいさんは島の歴史を教えてくれた。なんと歴史を伝えるための自作の歌も作っていて、歌詞をプリントしたもの!までくれた。いやびっくりした。しかし見知らぬ人にそうやって話しかけてくるなんて彼らは自分のいる土地のことをとても好きなんだろうな。

それと話は違うんだけど、昔、熱海の秘宝館に行った時、見知らぬおばさまに手をぎゅっと握られたことがある。謎。この場合はおじさんじゃなくて良かったけど…あれはなんだったんだろう…

料理の話は聞くのもするのもいいな

料理を描いた文章にどうも惹かれる。正確に言うと、料理が出てくる物語<いわゆる料理本<料理について滔々と語った文章(エッセイ)といった具合に好きだ。目の前に料理そのものがない分想像力を駆り立てられて魅力を感じるんだ、てなことを昔誰かに聞いた気がする…どこでだっけ…音楽について書かれた文章、ラーメンをとりあげるテレビ番組に需要があるのも同じ理由による…とかなんとか。
なんて考えつつ自分の本棚を漁ったけれど該当する本は案外少なかった。『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』高山なおみ『料理の四面体』玉村豊男 くらい?あとはたま〜にしかレシピ通りに調理しないけどページをめくるだけで満たされる料理本『朝ごはんの献立』飯島奈美とか『ごはんですよ』なかしましほ『ごはんぐるり』西加奈子 がある。あと全編という訳じゃないが『女たちよ!』伊丹十三も加わるのかな。スパゲッティとかサラダとか。

 

食事について語るのは普段のおしゃべりでも楽しい。音楽や本や洋服の趣味は合うのに食については全然違う、みたいなのも面白い。例えば餡子とチョコだったらどっちが好き?パンとご飯は?じゃあ蕎麦とうどんなら?!みたいのだけで延々時間を潰せる。食の好みは直に育ちや環境に影響されるから、軽くでも否定されると何を〜、と思うし、近しい人の変なこだわりや執念を知るとなんだか嬉しくなったりもする。食にまつわるエッセイが面白いのもその人の思考回路が身近に感じられるからかもしれない。

 

そうそう、図書館で読んだので細部の記憶はあやふやなのだが、『あのひととここだけのおしゃべり-よしながふみ対談集』で、「今日は何にも出来なかった・生み出せなかったなあ、って日でも、料理をすればきちんとした一日になるような気がする」というニュアンスのことを語っていて、ああ全くもってそのとおり!何も作ってないと不安になる時ってあるなあと共感した記憶がある。誰との対談だったっけ、羽海野チカな気がするけど確かじゃない(『三月のライオン』の食事シーンの魅力もすごいですよね)… そういう意味ではそのあたりの不安?欲?を簡単に解消してくれるツールとして料理は最適だ。お腹が満たされるだけで不安ってすこし消えるし。

 

ここ数ヶ月お弁当をよく作るようになり、今夜もまた明日のお弁当の準備をしていた。お弁当じゃなきゃ作らないおかずってのが結構あって、私にとっては卵焼きがその最たるものである。で、そんな卵焼きを作る時にとっても楽なのが溶き卵になめ茸を混ぜること。なめ茸自体に十分味がついているので他に調味料を混ぜ合わせる手間が省けて楽なのだ。なめ茸なんて安いから瓶で買えばいいのだが、ついついいつも買い忘れるのでエノキから作っている。作っていると言ってもエノキをいくつかの調味料で煮詰めれば完成するのでめちゃくちゃ簡単だ。これを前述のように卵焼きにしたり小松菜と和えたりするだけで簡単に一品出来るし、その割にちゃんと料理した感(この達成感は自炊を続ける上で結構大事な気がする!)も得られるので多用している。
食費浮かすのと、職場の近くにあんまお店が無いという理由でお弁当作りを始めたけれど、おかずのレパートリーも増え、着実にスキルがあがってる!と実感できるのは楽しいし、毎日えらいね、とかごく稀に褒めてもらえたりするからお弁当作ってる部分は多少ある。…とか、とりとめなく、書いてしまった。もも肉に下味つけてる間の暇つぶしで書くつもりが思いのほか書きすぎた!

西加奈子が好きだ

私が今、一番好きな作家。小説はもちろん自身の装丁画や、テレビや雑誌等で話している内容等すべてからなんというか等しいエネルギーが発されていて、彼女のその姿勢が結果、一つ一つの創作物の説得力を増幅させている。と思う。文章においても絵においても、ああこの人からこれが出てくるのはそうだろうな!という説得力というか。出てくるものの純度が高いというか。

最初に西加奈子の本を読んだのは、『さくら』だった。大学近くに一人暮らししていた時、近所の図書館で何気なく(当時既に『きいろいゾウ』も出版され話題になっており、有名な作家という印象だった)借りて一気に読んだのだ。彼女の文章はとても身体的だと思う。『ふる』でもそれを強く感じた。リズムがあり、クライマックスシーンに向けて読んでいるこちらの感情がどんどん高ぶるよう誘われる。それがひどく心地よい。

 

つい先日『サラバ!』上下巻を読了した。本編を読む前にダ・ヴィンチの特集を読んでいて、どうやら「物語」「信仰」等をテーマに書かれていると知り、これは何が何でも読まねばなるまい、と勝手に思っていた。

サラバ! 上

サラバ! 上

 
サラバ! 下

サラバ! 下

 

彼女の作品にしては珍しく(初なのだっけ)一人称で物語は進む。当初はそれ故に淡々とした印象を受けた。物語の終末にかかっても、前述のような高ぶるリズムはあまりなく、それは主人公が自身の軌跡を辿るような構成になっていることが大きいのかと思う。

主人公、圷歩(あくつ あゆむ)は父親の赴任先イランでうまれ、その後大阪・エジプトで少年時代を過ごす。著者と同じ生い立ちで、一見、自分の半生を描いた自伝的小説なのかな?という印象を受ける。だから例えば作中で圧倒的に重要なポジションをつとめる姉のような存在が著者の周りにもいたのだろうか?と深読みしてしまう人がいても不思議じゃない。だがすべて読み終え、個人的見解からいえば、この設定こそが「物語とは?」を描くために必要だったのではないかと思った。

だから、これを読んでいるあなたには、この物語の中で、あなたの信じるものを見つけてほしいと思っている。

ここに書かれている出来事のいくつかは嘘だし、もしかしたらすべてが嘘かもしれない。(中略)そもそも僕は、男でもないかもしれない。

あなたは、あなたの信じるものを見つけてほしい。

主人公の設定が著者と似通っている事で、クライマックスのこの文章も生きてくる。改めて、人はどうして創造するのだろうという根本的な問いが浮かぶ。つくりもの=実際に起きていない出来事や、誰かの空想で人は感動する事ができる。寓話の中に生々しいメッセージを込めることができ、またそれを読み取ることもできる。そしてそこには深度の度合いはあれど「信じる」という行為が欠かせない。

創作するとは?・誰かの創作物に触れる意味は?・物語とは?・信じるとは?生き続けるということはどういうことなのか?『サラバ!』にはいくつかの問いかけと、それらの答えが丁寧すぎるくらいに描かれていた。そういう意味ではこの物語は模範的小説?とも言える小説だったと思う。SWITCHインタビューで(またこの番組!)(椎名林檎との対談、合うんだろうか?なんて思っていたけどとてもよかった)本人が言っていたけれどきっと真面目な人なのだろうな。

 

いくつか好きなものにまつわる文章を書いていて改めて気付く。大体の私の好きなものは共通して、圧倒的に、生きることとか、今生きてるものに対して肯定的である。生きてるんだからそれだけで幸せだよ〜みたいに能天気な希望じゃなくて、自分次第でこの先どのようにでも生きていけるんだ、逆に言えば希望を勝ち取るための戦いを避けてはいけない、でもそれができるのだから生きてるって上等じゃん!みたいな、一言で言えば生命力?そんな力を含んだものが好きみたいだ。

長崎で考えた「生き延びる」とか「記憶」とか

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長崎に行ってきた。

目的はテオ・ヤンセン展を見ることと、地元に帰っている大学の同級生に会うことである。

安いのでLCCで成田→福岡まで行き、いくつか展示を見てから高速バスで移動。長崎では大浦天主堂→テオ・ヤンセン展/長崎県美術館長崎原爆資料館と見て回る。

この、長崎で回った三ヵ所から、思いがけず一貫したものを受け取った気がするので記録に書き留めておく。気がするだけでばらばらなのかもしれないけれど。かなり長い記事になりそう。

 

いきなり巡った順序を飛ばし、まずはテオ・ヤンセン展から。

●テオ・ヤンセン展 -砂丘の生命体- /長崎県美術館

オランダ人アーティスト、テオ・ヤンセンは物理学を学んだ後アーティストに転向した作家だ。彼は“ストランドビースト”という生き物を数々産み出している。“ストランドビースト”とは、プラスチックチューブを使用し組み立てられた、風で動く生き物である。風を受け、浜辺を歩く姿が愛らしい。作家によってビーストは年々進化しており、原動力を溜めておく「胃袋(=プラスチックボトル)」、自分にとって危険な水辺を察知する「感覚器(=感知器)」等も備え持つようになってきた。それら全ての目的は「生き残るため」である。

展示自体はデモンストレーションとして美術館スタッフがビーストを動かしてくれる時間があるとは言え、基本は動かない模型のようなビーストを眺める、というかんじ。どうしても浜辺で実際に動いている彼らを見てみたいという気持ちが強まってしまうのだけど、標本のような彼らをじっくり観察できるという意味では良いと思う。大人の科学の特集等で取り上げられるようになっているテオ・ヤンセン。恐らく動く構造を知りたい人にはいいのかもしれない。

だけど私の視点は少しそれとは異なっている。正直、物理とか全く疎いこともあって構造に関してはちんぷんかんぷんで、彼の作品に惹かれるのは「生き物」とは何か?という点について多く触れているからなのだ。

「生き物」。生きているもの。それは則ちいずれ死んでしまうものでもある。実際、初期のビーストではプラスチックチューブを接着する際の熱が強すぎて、骨粗鬆症を煩ってしまいもう動けないというものもいる。前述した感覚器や脳を持つようになったのは作家が彼らを少しでも長生きさせたいからなのだ。自分がこの世からいなくなってもビースト達が生き延びるように、という記述を展覧会内で見た。本当の親子のような愛情の注ぎ方である。

展示最後の壁にこんな言葉が書かれている。

『ビーストは世界中の人々の記憶として自らを複製する。
 ビーストは世界中の人々の頭の中を駆け回る。

 ビーストは生き残る。』

オランダ国内でビーストの素材となるプラスチックチューブの製造が終了したことと、BMWのCMとしてストランドビーストが使用されたことを受けての文章だ。風だけで動けると言っても、そもそもの素材に限りが来たり、修理ができなくなれば、ビーストにも動けなくなる時が来るだろう。でも私たちが亡くなった人に対し「生きてる人が覚えている限りあの人は生き続けているのよ」という表現をするように、誰かの頭の中でビーストが動き続けていれば、それは「生きている」ことになるのだろう。他者の記憶に自分の存在を委ねるというのはすこし寂しい気もするが、同時に限りない可能性も感じることだ。

(そういえば中外製薬のCMにもビーストが使われていた!順調に繁殖している…)

 

大浦天主堂(正式名称:日本二十六聖殉教者天主堂)

日本国内の現存する最古のキリスト教建築物だそう。長崎市内にある。
教会というものにほぼ縁がなかったので、中の構造がこんなに面白いのかということがまず印象深かった。ゴシック式とロマネスク式というものがあるということも初めて知った。ちなみに大浦天主堂は前者。尖頭アーチやステンドグラスが特徴らしい。

もう一つ印象的だったのが教会内で観光客用にリピート放送されていたエピソード。wiki等あらゆるページに「使徒発見」として載っているはずなので簡単にまとめると… 当時禁教下にあった日本で大浦天主堂はフランス人のために作られた。そんな中、見物客に紛れてやって来た隠れキシリタンが聖堂内で祈っていた神父にそっと近付き自らがカトリック信者であることを打ち明け、神父をひどく感動させた、というもの。禁教令から約250年経ち、その間長い迫害を受けつつも一つの信仰が生き延びていたのである。

これもある種、人の中で、形がないからこそ生き延びたものの一つだと思った。

ちなみに写真はここのマリア像。

 

長崎原爆資料館

そして、やっぱり長崎に来たからにはここに行かなくては、と思っていた、原爆資料館

入ってまず最初に目に入るのは、原爆が投下された11時2分で止まった時計。次の部屋に進むと、実際に被爆した施設の一部や当時の写真が。溶けてくっついてしまったガラス瓶や破れた衣服、粉々になった教会のステンドグラスなどなど、そこでは残された物が無言で惨状を伝えていた。

展示の後半では、証言ビデオとして被爆した人たちの肉声を聞くことができる。また、長崎の人だけでなく、別コーナーには他国で核実験の被害を受けている人のビデオも上映されている。

原爆だけでなく、戦争そのものを体験した人が少なくなってきた今、どうやってその悲惨さ残酷さを後世に伝えていくか、というのはもうずっと、永遠に人類の課題なのだと思う。その方法の一つが当時被害を受けた物を残し間接的に被害を伝えることであり、また一つが体験者の肉声で直接的なメッセージを発することなのだろう。

何を今更基本的なことを…というかんじだが、この日改めてそう思った。

 

テオヤンセン展、大浦天主堂原爆資料館と見た流れで、私は「生き残ること」や「伝えていく術」について考えていた。 

誰か・何かの存在を/一つの思想を/誰かの記憶を、他者が譲り受ける。形がはっきりとしないものの受け渡しをするために、美術や宗教や記録というメディアがあるのかもしれない というかたぶんきっとそうだ。と同時に、発する、残す方法は様々あれど、それらも結局は受け手の想像力に賭けるしかないのだなということも感じた。だからこそ その想像力を刺激するために、物が必要になるんだろう。逆説的だけど。発信する側は細部にまで命を込めたり、建物や衣装等とりまく環境まで作り込んだり、あるいは冷静に私見を取り除いて物や記録を収集して、その物自体の魅力や量の多さとかで説得力を付加するのだ。

そんなこんなで、自分にとってはなんだかしっくりくるキーワードが頭に浮かぶ土地だった。長崎。大学の同級生にも無事会えて、翌日は佐世保バーガーやクルージングをただただ楽しめたし、よい旅だった!

放つ人

とある職場で出会った人に「愛情をたくさん受けて育ってきたってわかる」と言われ、それはどうかしら、こんなに性格ひねくれてるけども、と思いつつも嬉しく、恥ずかしくなった。いい意味100パーとは限らないよな、無意識にわがままであるってことかもしれないし、なんて思うと同時に、もちろん嬉しくもあるのだけれど、その反対側、愛を放つ側に立ちたいななんて思う。受けてばっかじゃなくて放ちたい。半年間毎日のように顔を合わせて、隣の席でお昼を食べたりたまにデスクに隠したお菓子をもらったり、でも基本ただ淡々と一緒に仕事してただけなのにそういうことを言ってくれたその人は愛を放てる人だと思う。私はそういうの、全然うまくないからな。あーもし私にしっぽが付いてたら、ぶんぶん振り回して、この気持ちの高ぶりが伝えることができるのに!と悔やむことがたくさんある。