微かなハロー

気ままに | 内向的に | 湿り気のある日記

長崎で考えた「生き延びる」とか「記憶」とか

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長崎に行ってきた。

目的はテオ・ヤンセン展を見ることと、地元に帰っている大学の同級生に会うことである。

安いのでLCCで成田→福岡まで行き、いくつか展示を見てから高速バスで移動。長崎では大浦天主堂→テオ・ヤンセン展/長崎県美術館長崎原爆資料館と見て回る。

この、長崎で回った三ヵ所から、思いがけず一貫したものを受け取った気がするので記録に書き留めておく。気がするだけでばらばらなのかもしれないけれど。かなり長い記事になりそう。

 

いきなり巡った順序を飛ばし、まずはテオ・ヤンセン展から。

●テオ・ヤンセン展 -砂丘の生命体- /長崎県美術館

オランダ人アーティスト、テオ・ヤンセンは物理学を学んだ後アーティストに転向した作家だ。彼は“ストランドビースト”という生き物を数々産み出している。“ストランドビースト”とは、プラスチックチューブを使用し組み立てられた、風で動く生き物である。風を受け、浜辺を歩く姿が愛らしい。作家によってビーストは年々進化しており、原動力を溜めておく「胃袋(=プラスチックボトル)」、自分にとって危険な水辺を察知する「感覚器(=感知器)」等も備え持つようになってきた。それら全ての目的は「生き残るため」である。

展示自体はデモンストレーションとして美術館スタッフがビーストを動かしてくれる時間があるとは言え、基本は動かない模型のようなビーストを眺める、というかんじ。どうしても浜辺で実際に動いている彼らを見てみたいという気持ちが強まってしまうのだけど、標本のような彼らをじっくり観察できるという意味では良いと思う。大人の科学の特集等で取り上げられるようになっているテオ・ヤンセン。恐らく動く構造を知りたい人にはいいのかもしれない。

だけど私の視点は少しそれとは異なっている。正直、物理とか全く疎いこともあって構造に関してはちんぷんかんぷんで、彼の作品に惹かれるのは「生き物」とは何か?という点について多く触れているからなのだ。

「生き物」。生きているもの。それは則ちいずれ死んでしまうものでもある。実際、初期のビーストではプラスチックチューブを接着する際の熱が強すぎて、骨粗鬆症を煩ってしまいもう動けないというものもいる。前述した感覚器や脳を持つようになったのは作家が彼らを少しでも長生きさせたいからなのだ。自分がこの世からいなくなってもビースト達が生き延びるように、という記述を展覧会内で見た。本当の親子のような愛情の注ぎ方である。

展示最後の壁にこんな言葉が書かれている。

『ビーストは世界中の人々の記憶として自らを複製する。
 ビーストは世界中の人々の頭の中を駆け回る。

 ビーストは生き残る。』

オランダ国内でビーストの素材となるプラスチックチューブの製造が終了したことと、BMWのCMとしてストランドビーストが使用されたことを受けての文章だ。風だけで動けると言っても、そもそもの素材に限りが来たり、修理ができなくなれば、ビーストにも動けなくなる時が来るだろう。でも私たちが亡くなった人に対し「生きてる人が覚えている限りあの人は生き続けているのよ」という表現をするように、誰かの頭の中でビーストが動き続けていれば、それは「生きている」ことになるのだろう。他者の記憶に自分の存在を委ねるというのはすこし寂しい気もするが、同時に限りない可能性も感じることだ。

(そういえば中外製薬のCMにもビーストが使われていた!順調に繁殖している…)

 

大浦天主堂(正式名称:日本二十六聖殉教者天主堂)

日本国内の現存する最古のキリスト教建築物だそう。長崎市内にある。
教会というものにほぼ縁がなかったので、中の構造がこんなに面白いのかということがまず印象深かった。ゴシック式とロマネスク式というものがあるということも初めて知った。ちなみに大浦天主堂は前者。尖頭アーチやステンドグラスが特徴らしい。

もう一つ印象的だったのが教会内で観光客用にリピート放送されていたエピソード。wiki等あらゆるページに「使徒発見」として載っているはずなので簡単にまとめると… 当時禁教下にあった日本で大浦天主堂はフランス人のために作られた。そんな中、見物客に紛れてやって来た隠れキシリタンが聖堂内で祈っていた神父にそっと近付き自らがカトリック信者であることを打ち明け、神父をひどく感動させた、というもの。禁教令から約250年経ち、その間長い迫害を受けつつも一つの信仰が生き延びていたのである。

これもある種、人の中で、形がないからこそ生き延びたものの一つだと思った。

ちなみに写真はここのマリア像。

 

長崎原爆資料館

そして、やっぱり長崎に来たからにはここに行かなくては、と思っていた、原爆資料館

入ってまず最初に目に入るのは、原爆が投下された11時2分で止まった時計。次の部屋に進むと、実際に被爆した施設の一部や当時の写真が。溶けてくっついてしまったガラス瓶や破れた衣服、粉々になった教会のステンドグラスなどなど、そこでは残された物が無言で惨状を伝えていた。

展示の後半では、証言ビデオとして被爆した人たちの肉声を聞くことができる。また、長崎の人だけでなく、別コーナーには他国で核実験の被害を受けている人のビデオも上映されている。

原爆だけでなく、戦争そのものを体験した人が少なくなってきた今、どうやってその悲惨さ残酷さを後世に伝えていくか、というのはもうずっと、永遠に人類の課題なのだと思う。その方法の一つが当時被害を受けた物を残し間接的に被害を伝えることであり、また一つが体験者の肉声で直接的なメッセージを発することなのだろう。

何を今更基本的なことを…というかんじだが、この日改めてそう思った。

 

テオヤンセン展、大浦天主堂原爆資料館と見た流れで、私は「生き残ること」や「伝えていく術」について考えていた。 

誰か・何かの存在を/一つの思想を/誰かの記憶を、他者が譲り受ける。形がはっきりとしないものの受け渡しをするために、美術や宗教や記録というメディアがあるのかもしれない というかたぶんきっとそうだ。と同時に、発する、残す方法は様々あれど、それらも結局は受け手の想像力に賭けるしかないのだなということも感じた。だからこそ その想像力を刺激するために、物が必要になるんだろう。逆説的だけど。発信する側は細部にまで命を込めたり、建物や衣装等とりまく環境まで作り込んだり、あるいは冷静に私見を取り除いて物や記録を収集して、その物自体の魅力や量の多さとかで説得力を付加するのだ。

そんなこんなで、自分にとってはなんだかしっくりくるキーワードが頭に浮かぶ土地だった。長崎。大学の同級生にも無事会えて、翌日は佐世保バーガーやクルージングをただただ楽しめたし、よい旅だった!