微かなハロー

気ままに | 内向的に | 湿り気のある日記

西加奈子が好きだ

私が今、一番好きな作家。小説はもちろん自身の装丁画や、テレビや雑誌等で話している内容等すべてからなんというか等しいエネルギーが発されていて、彼女のその姿勢が結果、一つ一つの創作物の説得力を増幅させている。と思う。文章においても絵においても、ああこの人からこれが出てくるのはそうだろうな!という説得力というか。出てくるものの純度が高いというか。

最初に西加奈子の本を読んだのは、『さくら』だった。大学近くに一人暮らししていた時、近所の図書館で何気なく(当時既に『きいろいゾウ』も出版され話題になっており、有名な作家という印象だった)借りて一気に読んだのだ。彼女の文章はとても身体的だと思う。『ふる』でもそれを強く感じた。リズムがあり、クライマックスシーンに向けて読んでいるこちらの感情がどんどん高ぶるよう誘われる。それがひどく心地よい。

 

つい先日『サラバ!』上下巻を読了した。本編を読む前にダ・ヴィンチの特集を読んでいて、どうやら「物語」「信仰」等をテーマに書かれていると知り、これは何が何でも読まねばなるまい、と勝手に思っていた。

サラバ! 上

サラバ! 上

 
サラバ! 下

サラバ! 下

 

彼女の作品にしては珍しく(初なのだっけ)一人称で物語は進む。当初はそれ故に淡々とした印象を受けた。物語の終末にかかっても、前述のような高ぶるリズムはあまりなく、それは主人公が自身の軌跡を辿るような構成になっていることが大きいのかと思う。

主人公、圷歩(あくつ あゆむ)は父親の赴任先イランでうまれ、その後大阪・エジプトで少年時代を過ごす。著者と同じ生い立ちで、一見、自分の半生を描いた自伝的小説なのかな?という印象を受ける。だから例えば作中で圧倒的に重要なポジションをつとめる姉のような存在が著者の周りにもいたのだろうか?と深読みしてしまう人がいても不思議じゃない。だがすべて読み終え、個人的見解からいえば、この設定こそが「物語とは?」を描くために必要だったのではないかと思った。

だから、これを読んでいるあなたには、この物語の中で、あなたの信じるものを見つけてほしいと思っている。

ここに書かれている出来事のいくつかは嘘だし、もしかしたらすべてが嘘かもしれない。(中略)そもそも僕は、男でもないかもしれない。

あなたは、あなたの信じるものを見つけてほしい。

主人公の設定が著者と似通っている事で、クライマックスのこの文章も生きてくる。改めて、人はどうして創造するのだろうという根本的な問いが浮かぶ。つくりもの=実際に起きていない出来事や、誰かの空想で人は感動する事ができる。寓話の中に生々しいメッセージを込めることができ、またそれを読み取ることもできる。そしてそこには深度の度合いはあれど「信じる」という行為が欠かせない。

創作するとは?・誰かの創作物に触れる意味は?・物語とは?・信じるとは?生き続けるということはどういうことなのか?『サラバ!』にはいくつかの問いかけと、それらの答えが丁寧すぎるくらいに描かれていた。そういう意味ではこの物語は模範的小説?とも言える小説だったと思う。SWITCHインタビューで(またこの番組!)(椎名林檎との対談、合うんだろうか?なんて思っていたけどとてもよかった)本人が言っていたけれどきっと真面目な人なのだろうな。

 

いくつか好きなものにまつわる文章を書いていて改めて気付く。大体の私の好きなものは共通して、圧倒的に、生きることとか、今生きてるものに対して肯定的である。生きてるんだからそれだけで幸せだよ〜みたいに能天気な希望じゃなくて、自分次第でこの先どのようにでも生きていけるんだ、逆に言えば希望を勝ち取るための戦いを避けてはいけない、でもそれができるのだから生きてるって上等じゃん!みたいな、一言で言えば生命力?そんな力を含んだものが好きみたいだ。