微かなハロー

気ままに | 内向的に | 湿り気のある日記

忘れてしまってもいいようだ

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話したことを忘れられるのが嫌いだった。つい最近までは。誰かに二度同じことを話すのは失礼だと思っていたし、ちいさい頃は、今日あった出来事などを親に話したら一字一句覚えててもらえないと不機嫌になっていた。酔っ払って記憶を失うことは怖かった。逆に誰かから同じことを何度も話されると内心ショックを受けていたり。でも、最近は自分も「これ、前にも話したかもな…」と思いつつおんなじ人に何度もおんなじことを話してしまうし、話されても笑って聞いている。何回聞いても面白いことは面白いし、その瞬間楽しければまあいっか、という気持ちで。特にお酒の席なんて。ただ鈍感になったり老化の一種かもしれないけど、それでもいいと思ってる。


昨日も二度と同じメンツは集まらないだろう、って思ってしまう人たちとの時間があって、とってもとっても楽しくてずっと笑っていた。なのに帰り道、半分以上の内容を忘れてしまっていることに気付いた。それでも不思議と寂しい気持ちにはならなくて、むしろ心地よさすら感じられたのだ。

すべての時間がそう思えるわけじゃない。絶対忘れたくなくて、一瞬一瞬まぶたの裏に、記憶の深いところに刻み込もうとする時間も、何度も反芻して反省したりお守り代わりにするような時間もある。

細部が記憶からするする抜け落ちてしまっても、楽しい、という気持ちが残る時間は素敵なものだと思った。同時に、そう思えるようになった自分のことも、いいんじゃないかと思っている。